貧困妄想とは
貧困妄想(ひんこんもうそう、delusion of poverty)とは、実際には経済的に問題がないにもかかわらず、自分は貧困状態にある、あるいは破産してしまうと固く信じ込んでしまう精神病性の症状です。十分な貯金や安定した収入があっても、「お金がない」「破産する」「生活できなくなる」という確信から逃れられなくなります。
貧困妄想は、微小妄想と呼ばれる妄想群の一つです。微小妄想とは、自分自身を実際よりも低く評価し、劣っていると思い込む妄想の総称で、うつ病などで見られます。微小妄想には、貧困妄想のほかに、重大な病気にかかっていると思い込む心気妄想、過去に大きな罪を犯したと思い込む罪業妄想、すべてが失われ希望がないと確信する虚無妄想などがあります。
貧困妄想の症状
貧困妄想には以下のような特徴的な症状が見られます。
現実との乖離
客観的には十分な収入や貯蓄があるにもかかわらず、「お金がなくなる」「家族を養えない」「借金で首が回らなくなる」といった経済的破綻への強い確信を持ちます。家族や専門家が財産状況を説明しても、その説明を受け入れることができません。
自責的な循環思考
「自分がこのような状態になってしまったから医療費が払えない。生活費も足りなくなる。家の経済が傾く。子どもも学校に行けなくなる。娘も嫁に出せない。家族全員が路頭に迷う。すべて自分のせいだ」というように、自分を中心とした破局的な思考が循環します。
極端な判断と行動
貧困妄想にとらわれると、「家を売らなければならない」「子どもの学校をやめさせなければならない」といった極端な判断に至ることがあります。周囲からの助言も耳に入らず、一つの方向にしか考えられなくなってしまいます。
社会的孤立
お金を使うことへの過度な恐怖から、人との交流を避けるようになることがあります。外食や交際にお金がかかることを恐れ、社会的な関係性を築くことが困難になります。
貧困妄想が見られる精神疾患
うつ病(大うつ病性障害)
重度のうつ病において、精神病性の特徴を伴う場合に貧困妄想が出現することがあります。抑うつ気分とともに、経済的破綻への確信が生じます。
躁うつ病(双極性障害)
うつ状態に精神病性の特徴を伴う場合、貧困妄想が出現することがあります。気分の状態と一致した内容の妄想となることが特徴です。
統合失調症
統合失調症においても、貧困妄想が観察されることがありますが、他の精神疾患と比較すると頻度は高くありません。
認知症
認知症の経過中に、物盗られ妄想とともに貧困妄想が出現することがあります。高齢者の妄想は、若年発症の統合失調症と比較して、より現実に即した内容となることが特徴です。
医学的対応
貧困妄想は精神病性の症状であり、医療的介入が必須です。自助努力や周囲の説得だけで改善することは困難です。
薬物療法
貧困妄想の治療には、基礎疾患に応じた薬物療法が用いられます。
抗精神病薬は、ドーパミンD2受容体を遮断することで、妄想や幻覚といった陽性症状を軽減します。治療には、オランザピンやリスペリドンなどの非定型抗精神病薬が多く使用されますが、錐体外路症状などの副作用は比較的少ないとされています。
うつ病に伴う貧困妄想の場合は、抗うつ薬(セロトニン再取り込み阻害薬など)と抗精神病薬を併用することもあります。
入院治療
妄想により極端な行動(財産の処分、自殺企図など)のリスクがある場合や、日常生活が著しく障害されている場合には、入院治療が必要となることがあります。
周囲の人ができること
早期発見と受診の促し
経済的に問題がないにもかかわらず、過度にお金のことを心配し続ける、極端な節約行動をとる、「破産する」「生活できなくなる」と繰り返し訴えるといった様子が見られたら、精神科や心療内科の受診を促すことが重要です。
否定せず、共感的に対応する
「そんなことはない」「十分お金はある」と説得しようとしても、妄想を持つ本人は確信を変えることができません。むしろ、否定されることで孤立感や不安が強まることがあります。
「とても心配なのですね」「不安な気持ちはよくわかります」と共感的な姿勢を示しつつ、「一緒に専門家に相談してみましょう」と医療機関への受診を勧めることが有効です。
重大な決断を先延ばしにする
貧困妄想にとらわれている状態では、適切な判断ができません。家の売却、退学、退職といった重大な決断は、症状が改善するまで保留することが必要です。家族や周囲の人が、性急な決断を止める役割を果たすことが重要です。
安全の確保
妄想により自殺念慮が生じる可能性があります。「もう生きていても意味がない」「家族の重荷になるだけだ」といった発言が見られる場合は、直ちに医療機関に連絡し、安全を確保する必要があります。
貧困妄想と経済的不安の違い
貧困妄想は、通常の経済的不安とは明確に異なります。
通常の経済的不安は、現実的な根拠に基づいており、情報収集や専門家への相談により軽減することができます。また、気分転換や休息により不安が和らぐことがあります。
一方、貧困妄想は、客観的事実に反した固定的な確信であり、周囲からの説明や証拠提示によっても修正されません。合理的な思考ができなくなり、経済的破綻への恐怖に囚われ続けます。
まとめ
貧困妄想は、実際の経済状態とは無関係に、貧困や破産への確信を持ってしまう精神病性の症状です。微小妄想の一つとして知られ、脳内のドーパミン系の異常や前頭前野の機能障害が関与しています。
貧困妄想は本人にとって非常に苦痛であり、極端な行動や社会的孤立を招くことがあります。しかし、適切な医療的介入により改善が可能です。
経済的に問題がないにもかかわらず過度な不安を示す場合は、貧困妄想の可能性を考え、早期に精神科や心療内科を受診することが重要です。周囲の人は、否定せず共感的に対応しながら、医療機関への受診を促し、重大な決断を保留させることで、本人を支えることができます。