一度目の死:生前の悲劇

イグナーツ・センメルヴェイス(1818-1865)は、ハンガリー出身の産科医です。1840年代、ウィーン総合病院の産科病棟では、産褥熱による妊婦の死亡率が異常に高い状態でした。医師が担当する第一病棟では死亡率が10%を超えていましたが、助産師が担当する第二病棟では3%程度でした。

センメルヴェイスは、医師たちが解剖室から産科病棟に直接移動していることに注目しました。1847年、彼は医師たちに塩素水での手洗いを義務付けました。その結果、第一病棟の死亡率は劇的に低下し、2%以下になりました。

科学的証拠の提示

センメルヴェイスの主張は、以下の科学的根拠に基づいていました。

  • 介入前後の死亡率の統計的変化
  • 第一病棟と第二病棟の比較データ
  • 手洗い導入後の再現可能な効果

拒絶と迫害

しかし、当時の医学界はセンメルヴェイスの主張を受け入れませんでした。その理由は複数ありました。

  • 細菌理論がまだ確立されていなかった(パスツールの研究は1860年代)
  • 「医師の手が不潔」という主張が医師の権威とプライドを傷つけた
  • センメルヴェイス自身のコミュニケーション能力の問題(攻撃的で非妥協的だった)
  • 既存の医学理論(瘴気説など)との対立

センメルヴェイスは職を失い、精神的に不安定になり、1865年に精神病院で死亡しました。彼の死因については諸説ありますが、暴力を受けた傷が敗血症を引き起こしたとされています。皮肉にも、彼が防ごうとした感染症で死んだのです。

重要:センメルヴェイスの悲劇は「正しい主張が拒絶された」事例として記憶されるべきです。彼は実証データを持っていました。

二度目の死:死後の悪用

センメルヴェイスの名は、現代では「センメルヴェイス反射」という用語で知られています。これは「既存の知識と矛盾する新しい証拠を、反射的に拒絶する傾向」を指すとされます。

疑似科学による悪用

問題は、この用語が科学的根拠のない主張を正当化するために濫用されていることです。特に以下の文脈で頻繁に使用されます。

  • 反ワクチン運動
  • 代替医療の擁護
  • 陰謀論の正当化
  • 疑似科学全般

彼らの論理構造は以下の通りです。

  1. 「私の主張は主流派に拒絶されている」
  2. 「センメルヴェイスも主流派に拒絶された」
  3. 「したがって、私の主張は正しい」

論理的誤謬

この推論には致命的な欠陥があります。

センメルヴェイスは実証データを持っていました。彼の主張は、介入前後の死亡率という測定可能な証拠に基づいていました。対照的に、現代の疑似科学的主張の多くは次のような特徴があります。

  • 再現可能なデータを欠いている
  • 対照群との比較がない
  • 統計的有意性が示されていない
  • 既存の科学的知見と矛盾するだけでなく、代替説明を提供できない

「異端」であることは、正しさの証明ではありません。歴史上、主流派に拒絶された主張の大多数は、実際に間違っていました。センメルヴェイスは例外であり、原則ではありません。

科学的方法とは何か

センメルヴェイスの事例から学ぶべきは、「主流派を疑え」ではなく、「証拠に基づいて判断せよ」です。

科学的主張の要件

  • 測定可能な証拠
  • 再現可能性
  • 対照群との比較
  • 統計的検証
  • 第三者による追試の可能性

センメルヴェイスはこれらの要件を満たしていました。現代の反ワクチン運動や代替医療の多くはこれを満たしていません。

センメルヴェイスの二重の悲劇

センメルヴェイスは二度死にました。

一度目:生前、正しい科学的主張をしたにもかかわらず、医学界に拒絶され、精神病院で死亡しました。

二度目:死後、彼の名前が科学的根拠のない主張を正当化するために悪用されています。彼が生涯をかけて擁護した「実証データに基づく医学」とは正反対の目的のために。

これは知的誠実性に対する二重の侮辱です。

我々が学ぶべきこと

  • 主流派の拒絶は、主張の正しさの証拠ではない
  • 科学的方法の本質は「異端であること」ではなく「証拠を示すこと」である
  • 歴史上の科学者を、自分の非科学的主張の盾にしてはならない
  • センメルヴェイスを本当に尊重するなら、彼の方法論(実証データ)を採用すべきである

結論

センメルヴェイスの悲劇は、科学史における重要な教訓です。しかし、その教訓は「既存の権威を疑え」ではなく、「証拠に基づいて判断せよ」です。

彼の名を疑似科学の正当化に使うことは、彼に対する最大の侮辱です。彼が生涯をかけて主張したのは、感情や権威ではなく、データに基づく医学でした。

センメルヴェイスを本当に記憶したいなら、彼の結論ではなく、彼の方法を継承すべきです。